2009年6月23日 (火)

ガンダーラに向かって原始仏教を考える

          何故 原始仏教か
ここまで通って来たシルクロード沿いの多くの石窟などに示されて来たのは 当たり前の事なのですが 仏教の遺跡です。
それは また当然の事としてそこには仏教の教えがありました。 私達は そこに残されている像や壁画などから ある程度の事は意味を感じる事が可能です。
しかし 像や壁画の基になる物は仏教の教えです。  その教えを基にして その像や壁画が有るのですが 私は何故か 個々の宗派的な教えよりは 元々仏教て一体なになのて 感じてしまいました。
その自分の 感覚に基ずいて 仏教の教えの出発点の仏陀の教えに付いて知りたいと思いました。
しかし 調べていくとこれは とても大変な事が分かりました。  仏教は仏陀の死後約2400年の間に その時間的な経過の中で 様々に変化しただけでなくて 元々の仏陀の教えが非常に限られた形でしか残っていないのです。ですから その残された 原始仏典と呼ばれる物を元に考えて行きたいと思います。
 それは 私のような素人にはとても手に余りますので 幾つかの書物の記述を元に 自分なりに整理してみたいと考えます。

          原始仏典とはなにか
原始仏典に付いて 奈良康明氏の「原始仏典の世界」では次のように書かれています。
  「原始仏典の中でも、「ダンマパダ」、「ウダーナ」あるいはこの両者と深くかかわっている「ウダーナヴァルガ」という作品、また「スッタ二パータ」「テーラガーター」「テーリーガーター」などのテキストは原始仏典の古層に属し、あるいは少なくとも古い伝承を忠実に保っていると思われます。」
 と書いてあります。

これらの仏典の中でも 特に最古層に属して仏陀の直接の教えに忠実ではないかと 言われているのが「スッタ二パータ」です。

この「スッタ二パータ」に関して 中村元氏は その著書「原始仏典を読む」で次のように 述べています。
「歴史的人物としてのゴータマ・ブッダ(釈尊)の遺言のようなものをまとめた一つの書はないか、尋ねられたことがありますが、そのような物は存在しません。厖大な大蔵経に万巻の書が、みな「仏説」であり釈尊の直説であるということを標榜しています。しかしその中で最も古いもの、つまり歴史的人物としてのゴータマ。ブッダの教えに最も近いものを示せ、ということならば「スッタ二パータ」がそのうちの一つであるということは、原典批判研究を行っている諸学者の間では異論がないのです。」
と書かれています。 この「スッタ二パータ」は中村元氏が別の著書「ブッタのことば」として纏められています。

では この「スッタ二パータ」とはどの様な教えの経典なのでしょうか?

この経典に付いては 雲井昭善氏の「万人に語りかけるブッダ」 副題スッタ二パータをよむ が良いと思います。
この「スッタ二パータ」の成立の時期に付いては 氏は「この教団史によってごく自然に考えた場合、上座・大衆という二派に分かれた紀元前270年ごろ、つまり紀元前三世紀のころには、南方上座部のパーリー経典が成立していたということになるわけです。したがって 「スッタ二パーター」は、少なくともここに起源をもつということになるわけです。」
と書いています。 これは 釈尊入滅を紀元前383年とすると その後100年後位の時期を示しています。
この時期は 第二回結実があり 上座部と大衆部の分裂という仏教教団史にとっても 極めて大きな転換期であったと思われます。
しかし 内容的には その詩偈が部派を越えて伝えられている事から 成立は第二回結実の前も考えられ その意味で「何よりもまずブッダの肉声に限りなく近いということです」と 書かれています。

 さて この「スッタ二パータ」の内容的な事は これからまた考えて行きたいと思います。

 なんて言っても 仏教の歴史は とても長いのですから。
 これかの ガンダーラに向かいながら 少しづつ 考えて行きます。
 次回は そんな事を考えながら カラコルムハイウェイをカリマバードに向かいます。  ここら辺も だんだんと物騒に今わなっています。

        

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