ウルムチの戦いに付いて
ウルムチの戦いは何なのか
先月のウルムチにおける 激しいウイグルの人達の戦いは私達シルクロードを旅する日本人に 一体何を示しているのだろうか と 何度も考えている。
そして その戦いの後に 多くの漢族人達が手に手に斧などを持って街頭を進んで行く映像を見ると 更にとても大きな衝撃を感じてしまうのです。
このウルムチを含む中央アジアでは かって と言ってもそう遠くない頃まで幾度となく惨劇が繰り返されて来ました。
長澤和俊氏の著書「シルクロード」でも その最終章で次のように述べています。
こうした近代化は、東トルキスタンではやや出遅れたものの、
今日ではほぼ同じように躍進を続けている。しかし、ここに
いたるまでには、多くの血で血を洗うような惨劇が繰り返さ
れた。
金子民雄氏の著書「天山北路の旅」では1860年代の東干(トンガン)の反乱に関して詳しく書いて有ります。この著書によると天山北路沿いにある都市イーニンの郊外の恵遠城に対する1866年4月の回族の攻撃に付いて次のように書いています。
ついに東干は恵遠城の攻撃にうつった。彼らはまず城の楯の部分を二つ、城門一つを撃破することに成功し、たちまち城砦になだれ込んだ。そして、男も女も子供たちも、生きているものは無差別に虐殺した。中国人たちは自分の家族をまず殺してから、自殺した。あらゆる満人たちが将軍の宮殿に逃げ込み、絶望的な勇気を振って攻防したが、この戦いに降伏というものはなかった。殺すか殺されるかどちらかであった。ずっと同じ土地で生活を共有して来た人間が、かくまで浅ましく殺しあうそのエネルギーは一体なんだったのだろう。
この戦いの中国人の死者は三万人から六万人と言われています。この死者もこの反乱全体の死者の一部にしか過ぎません。 全体では もっともっと多くの破壊と死者があったのでしょう。
これらの歴史的な背景も金子さんは説明していますが 先の文章の中でも書かれている様に「殺しあうそのエネルギーは一体なんなのだろ」と 私達も考えてしまうのではないでしょうか?
この反乱の収拾の過程では 今度は多くの回族が虐殺されて行きます。
シルクロードは戦いの路でもあります
この様に シルクロードの特に天山南路からカスピ海に向かう中央アジアは 部族・民族・宗教の違いなどによって抗争を繰り返して来ました。
私達が 旅して見られる物は 現在残っている遺跡などです。 そこには 昔の流血の跡はもうありません。
でも そこに行ってみなければ絶対に分からない 匂いや気配や暑さがあります。 不味い料理も 臭い便所も そこに行くから分かると思います。
だから 今日来た町の その先に もっと行ってみたいと思っています。
そんな訳で 今回は 後戻りしてウルムチに行きました。
次回は フンザに向かいたいと思います。


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