ホータンから砂漠公路へ
ちょっと シルクロードを考える
シルクロードとは何か? 的な話は他の機会に譲って 今回は私もしくは 私達にとってのシルクロードを ちょっと考えてみたいと思います。
この場合 私もしくは私達とは 他の表現では 「日本人にとっては」とゆう表現でも良いけれど これだと 抽象的過ぎると思う。
NHKテレビでは 今でも「新シルクロード」が放送されていて 多分一定の視聴率は得ているのだと思うし その他シルクロードに関する本なども 旅行記なども含めて色々な物が出版されています。
何故 この様にシルクロードに対して 私達は関心を持ち続けて来ているのだろうかと 不思議になる事があります。
この事に関して 西方浄土に対する憧れと言うか 漠然とした期待感みたいな物が 有るのでしょうか。 歴史的にも 私達は文化も文明も そして宗教も西の方からやって来た物に 余りにも多く依拠しています。
この様な 気持ちと共に シルクロードの事に関して考えると 20世紀初頭にシルクロードに関する多くの文物が アジアの人達では無くて ヨーロッパなどの人達によって再発見されて来た事と 気持ちの奥では関係していると思います。
多分 人は鏡なしに自分の顔を見れないのに その鏡に対して恐れと共に憧れを感じてしまうことと似ていると思います。
明治35年にシルクロードに対して探検隊を出した大谷光瑞は 探検隊の概説書「西域考古図譜」の中で
明治35年八月、私はたまたまイギリスのロンドンに遊び、日本に帰ろうとし
た時、ふとこの帰途を利用して、私の素志の一端を達すべきてあると考え
た。
と イギリスやドイツ・ロシアなどの中央アジアの探検の熱気をヨーロッパで感じたに違いありません。
だから シルクロードを考える気持ちには 何故か 二重に屈曲した所がアジアの人には有ると思うのです。 多分 中国の人達は 私達以上かもしれないと 勝手に 想像してしまいます。
まぁ そんな気持ちも振り返りつつ 先に行きたいと思います。
ホータンから東に
ホータンから西域南路を 崑崙山脈沿いの幾つかのオアシスの町を通って東に向かいます。
オアシスの町の周りは 風よけのポプラが取り囲んでいます。
また 道端では ハミウリが無造作に積まれて売られています。
ロバに車を引かせてウイグルの人達が通り過ぎて行きます。 路は 舗装などなく砂漠の砂があります。 小さな オアシスの町は 大体この様な感じですが 人々は何か満ち足りている様な感じします。
少し大きなオアシスの町にケリア(干田)と言う所には この様なウイグルの老人と 毛沢東が握手をしている大きな像があります。
毛沢東のこの様な大な像は カシュガルの中央公園にもありました。
ここには まだ毛沢東が必要とされる事が 残っているのだ と言う事だと思います。
「ここは私達の国だと」言う事は 余り単純な事ではないようです。
ホータンから 東に約400kmで 砂漠公路に着きます。
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